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調剤薬局の起源について

「医療分業」や「調剤薬局」という用語は、一般的にあまり聞きなれないという方も少なくないのではないでしょうか。この違和感こそが医療分業や調剤薬局の実態を物語っているという見方も出来ます。

 

分業の先進国である欧米では、医療分業という言葉がありません。「調剤薬局」というのも日本にのみある呼称になります。このことは日本の医療業界が独自の発展をしてきたことを物語っているといえるでしょう。

 

調剤薬局事務が生まれた背景

 

調剤薬局とは文字通り、「調剤を行う薬局」を意味します。調剤専門薬局とも呼ばれ、病院や歯医者など医療機関の周辺に数多く設置されています。通常の薬局と「調剤薬局」の違いについて詳しく解説していきたいと思います。

 

調剤薬局は薬局の中の1つの形態になります。ただし、本来は「薬局」が正式名称であり、「調剤薬局」は通称になります。現在では、ほとんどの処方箋調剤が調剤薬局で行われていますので違和感を感じる人も少ないとは思いますが、あえて「調剤薬局」と名乗るには大きな意味があるのです。

 

調剤薬局が日本に初めて登場したのは1965年のことです。東京・本郷の水野調剤薬局(代表・水野睦夫)が元祖です。当時は、患者は医療機関から直接医薬品を処方させるのが一般的で、街の薬局で処方箋が扱われることは全くと言っていいほどありませんでした。そのため、薬局ではOCT薬と言われる一般医薬品や雑貨を売っていました。

 

そのような中で、水野薬局の近隣にあった、東京大学付属病院は当時から院外処方箋を積極的に発行していた病院であり、水野薬局でも小さいながら細々と東大病院の処方箋を受け、患者に薬を処方していたのです。そこで、水野薬局では、調剤部門を既存の薬局と切り離し、調剤薬局を作ろうとしましたが、周囲の薬局や行政の壁もあり、中々許可が降りないのが現状でした。

 

その理由は、当時薬局の新規開設には距離制限が定められており、既存の薬局から一定距離(約100〜200m)以内には新規で薬局を開設することが出来なかったのです。これは薬局の開設制限を都道府県で決めても良い、という薬事法改正が1963年(昭和38年)に施行され、都道府県が薬局等適正配置条例を相次いで判定したことに起因します。

 

この適正配置条例は、1975年(昭和50年)に最高決済で違憲判決が出され失効となっています。

 

水野薬局の調剤薬局計画も、この壁が立ちはだかり、行政からは「それまでの薬局と区別するために、調剤センターとしてはどうか?」等と提案され、周囲からも「物販をせずに、処方箋調剤のみで成り立つのか?」といった否定的な見方もする人も多い時代でした。

 

結局、水野薬局が新規に作った薬局は「物販を行わない」、名称は「水野調剤薬局」として、調剤の冠をつけることでようやく正式な薬局としての開設許可が下りたのです。日本で第一号の調剤薬局事務が設立された瞬間でした。

 

厚生省の医薬分業推進

 

その後、1974年(昭和49年)になり、厚生省が医薬分業推進に舵を切ったことをきっかけに、全国各地に調剤薬局が誕生しました。現在では薬局の許可を受けているほとんどの形態が調剤薬局となっています。

 

今でこそ、医療機関で診察を受け、処方箋を持参して薬局で薬を受け取ること一般的な時代になりましたが、医療分業の歴史と同様、先駆者は常に周囲の圧力や行政の壁に直面し、それを乗り越えてきたのです。